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報恩記
- Narrado por: 村上 めぐみ
- Japonés
- Duración: 1 h y 7 mins
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Resumen del editor
代々江戸城の茶室を管理し、将軍や大名に茶の接待をする「奥坊主」と呼ばれる職を務めた家柄に育ち、文芸や芸事への興味・関心を早くから持っていた芥川龍之介。 才気にあふれ、世話好きな性格は周りの人々を惹きつけ、たくさん悩みながらもよく笑い、よくしゃべる人だったそうです。 そんな芥川は、東京帝国大学に入学した翌年、高校の同級だった久米正雄らと共に第三次「新思潮」を創刊し、小説や翻訳を発表しました。 次いで第四次「新思潮」を創刊の際に掲載した『鼻』が夏目漱石に認められ、文壇に登ることとなりました。 その後新聞社に入社し、記者としてではなく専業作家として意欲的に執筆活動を続けました。 芥川は、漱石や森鴎外から文体や表現の影響を受けたり、キリシタンもの、江戸を舞台にしたものなど題材に応じて文体を変えたりと、意識的な小説の書き方をしていました。 また、鈴木三重吉により創刊された児童雑誌「赤い鳥」には、初となる童話作品『蜘蛛の糸』を発表、その後も同雑誌を中心に童話作品を相次いで発表し、幅広く作品を世に残しています。 わたしは甚内と云うものです。 苗字は――さあ、世間ではずっと前から、阿媽港甚内と云っているようです。 阿媽港甚内、――あなたもこの名は知っていますか? いや、驚くには及びません。 わたしはあなたの知っている通り、評判の高い盗人です。 しかし今夜参ったのは、盗みにはいったのではありません。 どうかそれだけは安心して下さい。 あなたは日本にいる伴天連の中でも、道徳の高い人だと聞いています。 して見れば盗人と名のついたものと、しばらくでも一しょにいると云う事は、愉快ではないかも知れません。 が、わたしも思いのほか、盗みばかりしてもいないのです。 いつぞや聚楽の御殿へ召された呂宋助左衛門の手代の一人も、確か甚内と名乗っていました。 また利休居士の珍重していた「赤がしら」と称える水さしも、それを贈った連歌師の本名は、甚内とか云ったと聞いています。 そう云えばつい二三年以前、阿媽港日記と云う本を書いた、大村あたりの通辞の名前も、甚内と云うのではなかったでしょうか? そのほか三条河原の喧嘩に、甲比丹「まるどなど」を救った虚無僧、堺の妙国寺門前に、南蛮の薬を売っていた商人、……そう云うものも名前を明かせば、何がし甚内だったのに違いありません……
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